ものおと

散歩と散文

一瞬のはなし

長い目で見れば我々はいない。

繁殖すれば時間は進む。それはエネルギーの散逸そのものだ。
種を残そうとしているなんて説明するのは進化の否定である。
残すって何を?そもそも同一性はその都度の近傍での話でしかない。
生き物は燃え広がっている山火事の上で沸騰している水にできる熱対流のようなものだ。勢いと燃えるものがあれば続く。
もちろんまだ燃えるものがあっても消える可能性はある。
どうして現存する生物で続いているのだろうか?そしてこのままそれは続くといえるのだろうか。それはおそらく物理の問題であり予測できるかもしれない。
もちろん未来はわからない。生き物は何度か大量に絶滅したとされる。様々な原因で繁殖できなかったり、そもそも生存できなかったりしたといわれる。
活火山はどうしていまだに噴火しかねないのか、死火山はどうしてもう噴火しないのかはある程度理解できる。今の活火山があとどれくらいで死火山になるかは予測できるのだろうか。

継続するのは枠組みだ。形式といってもいいかもしれないが、抽象的なものではない。そして長い目でみればそれは全然同じではない。遺伝子など考えれば良い。生きている物質は最初からDNAで「遺伝」してきたわけではない。でも遺伝子は現在のようにDNA中心になって持続している、複製増殖という様式でエネルギーの散逸が持続している。一方この先ずっとDNAのままかはわからない。おそらくそれは変わっていくであろう。ウィルスをみればわかるけれども、自発的に複製増殖しなくなっている構造があるし、癌のようにエラー気にせず増殖するような組織変異もある。もちろん今のセントラルドグマですべて生き物が絶滅してしまうこともありうるのかもしれない。ただここまで繁栄できなくてもなんらかの別な体制で持続する可能性もある。
とにかく生き物がいるのはリレーが続いているということだ。それはそれよりもはるかに大きな尺度でエネルギーの流れがあるからだ。大気であり、海流であり、プレートの動きに現れている地球そのものとしてのエネルギーの散逸だ。地球は他の惑星と比べれば圧倒的に活動している。外惑星でガスの塊は内惑星とは別の存在にみえる。金星の様子がもう少し詳細にわかれば何か言えるようになるかもしれない。
同じことが繰り返しているようにみえるのは短い時間と空間においてであってどんどん推移しているのだ。「同じ」というのはほんの短い間の狭い範囲のことなのであり、その同じという度合いも尺度を広げるとどんどん薄くなっていくものだ。
そもそも同じ生き物として人間とソテツと大腸菌を扱うのはどういうことなんだろう。こうしたものはすべて長い目でみれば存在しないものだ。
だから生き物の35億年というのは多様な種に焦点を合わせても長時間露光で写っているのは地球の姿でしかない。しかし地球を生き物とはいわない。