ものおと

散歩と散文

「WEIRD「現代人」の奇妙な心理 上・下」J・ヘンリック


日本には教会勢力というものがないに等しいのでこの本の中で興味深いところはやはり現代日本における婚姻の急激な減少によってどうなるのかということだろう。日本は西欧中世というよりはむしろローマ時代に近いと思っているけどここでいうところの親族ベース制度の傾向が根深く強いところであるがやはり敗戦後のGHQの介入は効果があっていろいろ変化が出てきている。ヘンリックも何度も指摘しているが人間の基底心理はそう簡単には変わらないので世代を追って徐々に変化が現れる。本人たちの意思による結婚という傾向が主流になったのは家督制度の廃止と都市部に教育と仕事を求めての移動(特に若い女性の移動)といった複数の要因が重なって「親族姻族ベース制度の既得権益」が衰弱していったという見えないところの状況を示しているのではなかろうか。問題は教会やプロテスタンティズム、ピューリタニズムは代替の組織化と団体(修道会、大学、ギルド、市場など)を形成する方向を見出せたが日本はおそらくこれらの「組織化」が弱い。日本はしばらく都市に若い労働力が集中し地方は疲弊していきそうであるけれどもどういう方向に社会が「再編成」していくのかわからない。私は格差が広がり貧困そして移民といっていいような外国人の存在感が顕著になった時政府では手に余る「セーフティネット」への希求が大きなブレークスルーを招くのではなかろうかととりあえず夢想している。

企業以外にあるもの

戦後の日本企業は経済復興を可能にしたと言う意味で大きな貢献をしているのだけれどもやはりどんな物事にも賞味期限はあるもので今や日本の企業は障害物になっていると思う。われわれの企業は個人の発展を妨げている。個人のスキルや然るべきキャリアの発展を抑圧してしまっている。もちろん企業はそんなことをするためにあるわけではなく会社の利益をもたらすよう個人にも能力アップ成績アップしてほしいというのが合理的である。しかし社会保障的な雇用を受け入れ望まれた戦後日本企業は然るべき知識や技能が育つ横や縦の個人同士のネットワークの発育に貢献するどころかお決まりの「不透明さの伝統」で多くを発育不良にしてしまっている。いままで高度成長期の成功でそのいう側面は見えないもしくは見ないでこれたのだけど昨今のソフトウェア関係では露呈してしまった感がある。私は世代交代してく中でいろいろ変化が訪れるだろうと楽観しているのだけどとにかく日本人は今や非営利的な団体による専門技能や特定領域のプロたちの連帯が必要だと思うのだ。まずは市民としての個人というところから始める必要があるのかもしれない。その基盤の自覚から次の「個人の属性」という考えが育っていくのではなかろうか。