日本における民衆的資本主義(だとして)の主要生産様式は企業である。だから今後企業がどのように発展もしくは衰退していくかがとりあえず日本の資本主義のあり方を決めると言える。もう一つのあえて生産様式といえるのは「家庭」である。これは戦後社会のいろいろな経緯を経て高度成長期に一部で確立されたものであるけれどもおそらく今後衰滅していくかもしれない。政府は相変わらず「世帯」単位で統計しているかもしれないけどどこかで「単身者」単位を考えないといけなくなるかもね。まあわからないけど。問題は単身者や単身者同士の結婚以外に森嶋さんが暗黒面というような「カルト」的存在の台頭である。わたしはこっちに興味がある。キリスト教がローマの公教になる前にいろいろなカルトが跋扈していたというけれどもそれと同じようなことがこれから起こるのだろうか。今見えている大きな動向はもちろん人口減少である。ローマ時代も人口減少が問題になったそうだけどキリスト教は中絶を禁じて女性の地位を認めたりと「家庭」の存在を背景に信者を広げていったようだ。ただ日本の人口減少は実際にどういうことになるのかは進んでみないとわからない。出生数はどこかで底になるとは思うけれどもこれも結局予想できない。将来への期待がマイナスになると出生数は減る傾向にあるそうだからこれも企業主体の経済動向がどんなふうに見えるかにかかっている。まあ今のところは「景気いいねー」とはなりそうにないですな。その社会不安と「家庭」衰退への反動としてあるカルトが台頭してくるか否かというところが興味があるのだ。
日本は民衆的資本主義か?
ミラノヴィッチ本は一応本文は読み終えて今補遺を読んでる。さてミラノヴィッチ先生は民衆(人民)的資本主義なる資本主義の亜流を述べる。資本と労働が所得の半分ずつくらいを占めて所得格差はあるけれどもひどくはなく医療と教育は無償化されているというような感じ。今の日本はこれにちかいかね。米国のように無謀で反社的な人格が醸成されやすいがイノベーションが頻繁に起こる格差拡大社会でも中国のように国家統制によって集中的な産業加勢で確実で急激な成長を見込めるが権力が一部に集中して腐敗が醸成されやすい社会でもないわけでつまり成長も改革も緩く遅いわけだ。そんな感じだよね現在日本。だから日本は「失われた」と言い始めた90年代からこの亜流資本主義になっていったとも解釈できるかも。問題は人口が減少し(主に高齢者が大量死し始めて)どうなるかだろうかね。まあそれも団塊ベイビーたちが85歳(平均寿命)になる2040年くらいからの話だわな。問題は低成長でも成長や刷新は必要なわけでそれはどんな感じで持続するのかということだろう。日本の資本主義は基本企業が主体であり企業間に階層があるといえるけど大枠は大企業と中小企業と自営業という構図になるが今後その3つの関係性がどんどん変質していくとしたらどこに向かうのかということである。若い世代の減少は国内市場への新規参入の縮小になるので国外市場の展開がない企業は淘汰されていくかもしれない。大企業のサプライヤー的存在で持続している中小企業も大企業の外部への依存状態が変わることで影響を受けそうである。成長も刷新も小さくなれば結果的現状維持で支出を抑える方向に動くであろうから。外国人雇用問題もあるだろうがこれは先行きが微妙である。今後は一種の労働力の分散化がおきて企業もそれに対応することになるのかもしれない。まあこれは観念的な見通しに過ぎない。あと社会はより単身者のものになっていくだろうけれども政府が「世帯」主体から単身者主体に考えるようにはならないだろうと思う。しかし結婚はいいとしても家庭を営むことは主流ではなくなっていくかもしれない。今の企業社会は単身者の被雇用者やDINKSには年収が十分あれば快適であるけれども子供を作って「家庭」を営み始めると途端に過酷なものになる。そこをきちんと若い世代が意識して生活設計できるようになってきているから少子化しているのかもしれないが。
雑な図式
日本は植民地化されていないけど植民地化の恐怖(攘夷)から体制を改革する方向に下級武士層を中心にご一新が行われたが旧体制は打破されたのではなく新体制に取り込まれた。結局つくられた「日本国」は「帝国」となって結果的に欧米列強に打破された。戦後は戦前勢力が形を変えて実権をもって経済復興に成功した。さて「帝国」は滅びたわけだがそれはうちなる対抗勢力によってではない。しかも日本の政治的資本主義の推進力は帝国の担い手でもあったわけであるから戦後の日本の復興はその残党によって進められているところがある。ただし戦後は教育改革によって戦前のエリート層の再生産は衰滅してしまったので政治的資本主義の元推進力はなくなってしまった。で?反帝闘争の全共闘世代は下からの資本主義の推進力だったのだろうか?一部はそうだったといえるのかもしれないけどそもそも時代の空気としては資本主義も共産主義もごめんだけど福祉国家はウエルカムって感じだったのでは?まあでも基本はトヨタ、ソニー、三菱と大企業の影響力を中心に資本主義は徐々に浸透していったといえるだろうね。問題はそれを維持できる勢力があるのだろうか?ということだろう。それはおそらくアニマルスピリッツなるものがある程度必要なんだということだと思うのだけどそれは今具体的にどういうことなのか?
非西洋植民地における共産勢力と日本の武士たち
ミラノヴィッチ先生の「共産主義」は非西欧植民地における反帝闘争の担い手として植民地主義と結びついていた封建主義(親族姻族ベースの特権階層による)を打破し国家統制的な資本主義への道を切り開いたものである。これは幕末ご一新における下級武士層に対応するといえるだろう。ここらへんは森嶋先生の見立ても参考になる。そもそも戦前の士族などの末裔たちは統制経済といい国家主義といい近衛文麿さんのシンクタンクに尾崎秀実がいたように国家社会主義傾向が強い。日本は直接植民地化しなかったけど攘夷から始まって開国となり富国強兵殖産興業となりその担い手が軍部と官僚たちと財閥というわけであった。「上からの資本主義」すなわち「政治的資本主義」である。資本主義は国家レベルの政治と結びつくことで一人前の資本主義となるのだ。だから戦後日本の資本主義は国の統制衰えとともに下からの資本主義になっていくという筋書きが思いつきそうであったが森嶋先生は「不十分」とみていたわけだ。どうなんでしょうか。森嶋さんはエリート(武士)の再生産が戦後衰滅して国が劣化していくとみていたわけでその代わりの資本主義の担い手はないと思っていたのだろうね。そんなことはないと思う。アニマルスピリッツが足りないということなのかもしれないけどそもそもアニマルスピリッツとはなんだろうか?貪欲さ?野心(クラーク先生はいいましたね。。おまえさんたち野心的であれよ。と)起業家は不合理な精神の持ち主だという(まあ無謀ってことですね)。まあそうですね。冒険探検が好きなんですね。でもおそらくそれ以上に普通は危険は避けたいとおもうだろう。野心や貪欲だけで危険は避けられない。夢をみるのは安全だけど夢を実現するのはいろいろ厄介なことが見える。レールが明確な受験と就職でより有利を目指して努力する方がいいに決まっている。でもそれじゃあおそらく下からの資本主義だとそれを停滞させるようなマインドしか出てこないようにも思う。政治資本主義だと野心盛んな軍部と冷静で貪欲な官僚と現実的な財閥みたいな関係でいけるのだろうけどね。でも意外に大いなる「欠損」というもののほうが大事業をめざすマインドを作るかもと思うのだよね。そこらへんはまだまだよくわからない。